9/7(土) 11:11 デイリー新潮
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今年12月で58歳を迎える永井真理子
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第1回【永井真理子が「人生をかけよう」と思った短大時代のバンド なぜかソロデビューにつながった思わぬ“事故”とは】のつづき
兄と遊びで歌っていた子供時代を経て、厳しい高校生活を送った永井真理子(57)。音楽への思いを募らせて短大に進学すると、入学からわずかな期間でデビューを決めた。それから今まで、自身やその楽曲で求められるままに全力投球を続けてきた。そんな永井のロングインタビュー第2回は、デビューから現在までについて。50代半ばを超えた今は、「やりたいことを全部やろう」という思いを強くしている。
(全2回の第2回)
***
■「1位」の場所に自分のCDを
短大卒業後の1987年7月にシングル「Oh,ムーンライト」、翌月にアルバム「上機嫌」を発売し、デビューした。コンテスト入賞などの実績はなく、ゼロからの出発。Tシャツとジーンズにショートカットは短大生当時のままだった。
「デビューしてすぐは私のことなんて誰も知らない。レコード店に行き『今週の第1位』のところに自分のCDを置いたりして。間違って買ってくれないかなと思っていました」
そんなある日、カフェで「Oh,ムーンライト」が流れた。有線放送だった。
「顔を隠したんですよ。誰に見られているか分からない、とか勝手に思って」
■会場の広さが一年足らずで倍以上に
人々の注目を集めるまでに時間はかからなかった。1988年9月発売のアルバム「Tobikkiri」でベスト10入りするなど、上昇の一途を歩む。露出も増えたが、出演番組を見るのも恥ずかしく、人気が上がっている実感はあまりなかったという。
それでも着実にファンは増えていった。1987年9月、12月のライブは東京・渋谷のライブハウス「渋谷eggman」だったが、翌年5月は道を挟んだ「渋谷公会堂」(現・LINE CUBE SHIBUYA)。キャパシティ約350から1年経たずに約2000の会場になったのだ。1989年11月には「日本武道館」(東京・千代田区)での2DAYSライブも実現した。加速度を増す忙しさや、都市から都市へのバス移動で、自分がどこにいるかも分からないこともあった。
「自分でもわけが分からなくなっていました。誰が見に来てるんだろうって。ただショートカットでボーイッシュな女性や、Tシャツにジーンズ姿の男性のお客さんが目立つようになってきました。青森のライブでは『今日は青山に来ました~!』って思いっきり叫んだことも。最前列のお客さんが口の動きで『青森です!』と教えてくれました」
■「YAWARAちゃん」と呼ばれ
1989年10月、テレビアニメ「YAWARA!」(読売テレビ制作)の放送が始まり、主題歌に永井の9枚目のシングル「ミラクル・ガール」が起用された。
「街で『YAWARAちゃん!』とか『ミラクル・ガール!』と声を掛けられることが多くなって、『いやいや、名前違うよ』と思っていましたね(笑)。そこから一般の人にも認知されるようになりました」
ただ、認知が進む激烈なスピードに気持ちが追い付かない実感もあった。嬉しさと不安がないまぜになり、この頃の自作詞には自然と悩みを持つ系統の内容が多くなっていた。
「いろんなことを経験しなきゃいけないのに、階段を上がるのではなく、景色も見ずにエレベーターで上まで行った感覚があって。どこかで自分の気持ちが切れ、ひずみが来る んじゃないかと感じていました」
バラエティ番組やドラマにも出演した。「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」では、番組内の「やまだかつてないバンド」でコーラスを担当し、番組エンディングに出演。後にエンディング曲となったバラード「ZUTTO」では、これまでで唯一のNHK紅白歌合戦出場も果たした。」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
日本の歌だっけか
あれに永井真理子とか渡辺美里、レベッカ
氷室京介あたりが出るようになるのかね
美奈子
サンシャインガール moumoon
ラバーガール 人力舎
それはLazy Lou’s Boogieの方じゃあるまいか
特に美人でもないし歌も上手いってわけでもないし
Ready Steady Go!はいい歌だったと思う
ただ、過去にしがみついて昔の歌を年食っても延々歌い続けるのはあんまり好きじゃない
90年前後って元気系女子がウケた時代があったんだよね
ドリカムも似たような空気があったと思うし
(加藤響子)冬の時代。ちょっと寂しい響きですが90年代、
アイドルにとってどんな時代だったんでしょう?
(吉田豪)わかりやすく言うと、80年代末にバンドブームが
来るんです。で、バンドの人たちっていうのはベストテン番組
とかに出ない人たちなんで、いわゆるベストテン番組がそこで
崩壊するんです。そしてアイドルというものが格好悪い文化に
なっていくんですよ。完全に別物になって、いわゆるオタクだけ
の文化になっていって。だから「アイドル」を名乗るのが恥ずか
しいってことで、それまでだったらアイドルとして売り出された
人たちが「ガールポップ」っていうジャンルで売り出されたりとか。
(加藤響子)ガールポップというのはどういう方たちですか?
(吉田豪)永井真理子さんとか、そういう感じですね。たぶん
それまで、普通だったらアイドルで出ていた人たち、かわいい
女性たちは全部こっちの枠に行きましょうっていう。
渡瀬マキってアイドルとしてデビューしたけど
全然売れなくて立ち位置を変えたらヒットした変わり種
どちらかというと谷村有美が近い
懐かしいなあ
あと代々木体育館も
歌は上手くなかった?
記事読めや
知らんだろうけどさすがにミラクル・ガールはヒットした
興奮したよな
ページをめくるといつもそこに君が居た♪
全盛期はオタクみたいな風貌な地味な男が多かったけどな
女受けはそんなによくなかった
完全に森川美穂や谷村有美や松田樹利亜とかだな
顔はかわいいけど、アーティストみたいに売り出すとか
森高千里だろ
アイドル風アーティストなのかアーティスト風アイドル
俺もYOU AND Iの方が良い
石井明美は夢グループの演歌フェスでみれるよw
One Step Closer、Ready Steady Go!、少年、23才、さよならの翼、ワイルドで行こう、私の中の勇気
大地の子の死にそうな役が何故かカワイイと思った
「なまり』って言われてなかったか?
おそらく変なお直しもしてないから極自然だし
おそらく変なお直しもしてないから極自然だし
◯◯真◯子
結構下ネタ系の話が好きで当時週間プレイボーイで連載していたコラムでもちょくちょく書いてたはず
あとストリップ鑑賞が好きでコンサートで地方に行ったらストリップ劇場巡りをしていたらしい
本人は最初からロック系で行きたかったけど事務所の方針に逆らえず仕方なく歌ってたらしい
ラジオ欠かさず聞いてたが知らなかった
ロリ顔だけど処女な感じはなかったからショックではないが
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