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日本の景気が狂ったようによかった1989年。バブルの喧噪に目もくれず、全国で特攻服を身にまとって彷徨い歩く少女たちがいた。当時、成人向け雑誌の編集者であった比嘉健二氏はその姿に惹きつけられ、彼女たちを主役にしたレディース専門誌『ティーンズロード』を創刊する。
喧嘩や抗争に明け暮れ、シンナーや中絶といったシリアスな悩みにも直面する――そんな彼女たちに「活字のマブダチ」として寄り添ってきた。著書『特攻服少女と1825日』が第29回小学館ノンフィクション大賞を受賞した比嘉氏が、青春と喧騒の日々を改めて振り返る。
「お前なんでいつも遅刻してるんだ! 集会と会議には遅れるな! 何回言わせるんだ!」白の特攻服に「総長」と刺繍されたその少女の怒声がカラオケボックスに響く。怒鳴られているのは新人のメンバー達だ。それは日本一と自負する「三河遠州女番連合」の幹部会議の一コマだ。総長がタバコに火をつける、新人達が一斉にライターに火をつける。ヤクザ映画のシーンでよく見られる光景が、今目の前の少女達の間で繰り広げられている。
この日の主な議題は集会の説明と「駅番」の徹底の確認だった。「駅番」とは少女達の地元の駅から降りてくる乗客でチームに所属していない茶髪に染めたヤンキー少女に駆け寄り「スケ連(三河遠州女番連合)に入るか、入らないなら髪の毛を黒く染めて真面目になれ!」という恐喝行為だが、ある意味生活指導のようでもあり、街の治安に役立っているとも取れなくはない。
総長は最近、自分たちのチーム以外の茶髪が目撃されている事に喝を入れている。幹部会は約1時間ほどで終わった。さっき怒鳴られていた一人の少女が会議中ノートに一生懸命メモしていたのが気になり声をかけた。
「会議中メモしていたけど、何を書いていたの?」
「自分は先輩に言われたことすぐ忘れちゃうんでノートにメモしているんです、私、中学校も行ってないんでスケ連に入ってから字を覚えたんです、礼儀とかもここで学んだんで、スケ連が私にとっては学校みたいなもんです」
この当時(1990年代)少しでも校則を守らないヤンキー少女は学校が受け入れてくれないケースも多かった。『ティーンズロード』で取材したこの時代のレディースたちは案外中学も行ってない子が多かった。そんなヤンキー少女にとってレディースは「居場所」だったのだ。
1989年に創刊した『ティーンズロード』に自分は1993年まで編集に携わった。表紙からレディースや暴走族の刺激的な写真が載っているので、一見過激に見えるが、全体をよく読むと、読み物ページは真面目な人物ルポや、読者の悩みや苦悩が投稿というスタイルで埋め尽くされている。
投稿の大半は「シンナーを吸って彼氏がバイクで事故死した」「シンナーのせいで私は赤ちゃんを中絶した」「母親とそりが悪く登校拒否にになり学校を中退した」「学校でみんなに無視されていじめられている」といった結構重い内容が多い。それに対して編集部が返事を返すこともあるけれど、現役のレディース総長が読者の悩みに回答するコーナーが人気だった。
過食症で登校拒否になり引きこもりだったある一人の少女が思い切って投稿してきて、それに当時人気レディースの総長が悩みの回答したのがきっかけで、その答えに勇気づけられ引きこもりから立ち直り、アルバイトを始めた。そんなケースもあった。
※以下リンク先で
引用元: 【雑誌】喧嘩と抗争に明け暮れた「特攻服の少女たち」の青春…レディース専門誌『ティーンズロード』創刊秘話 [征夷大将軍★]
レディースだった近所の怖いお姉さん
子だくさんの主婦になって
いまでは商店街を切り盛りしてる
めちゃくちゃ働き者で優しい
女連のノブコさんは何度か見たことある
おばさんばっかりだったが
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