【音楽】80年代のオメガトライブ解散の真相!杉山清貴が語る「スタジオにショットガン」の衝撃 #オメガトライブ #杉山清貴 #80年代音楽 #解散 #衝撃エピソード
2024年09月15日 デイリー新潮
https://www.dailyshincho.jp/article/2024/09151040/?all=1
3月から5月にかけて開催された「杉山清貴&オメガトライブ ファイナルツアー」を終えた杉山清貴(65)。1980年代のシティポップを牽引した一組でもあるだけに、彼らのサウンドを心待ちにしていたファンが会場を埋めた。もちろん杉山もまた、このメンバーで演奏することの心地よさを改めて実感したという。
とはいえ、杉山清貴&オメガトライブは80年代の活動期間がわずか3年足らず。鮮烈な印象を残したゆえに、その短さを意外に思う人も多いだろう。杉山のロングインタビュー第1回では、デビュー前からオメガトライブ時代、米国移住までを振り返る。
(全2回の第1回)
***
■コンテスト入賞もデビューにつながらず
(※中略)
■自分たちを出せるのはライブ
杉山清貴&オメガトライブは1983年4月、シングル「SUMMER SUSPICION」でデビュー。1985年末の解散まで3年足らずという短い活動期間に、シングル7作とオリジナルアルバム5作をリリースし、人気を博した。
「オメガの曲は、自分たちがやりたい世界だった。自分で作れたらああいう曲が欲しかった」と杉山。藤田がプロデュースし、シングルA面の7曲は全て康珍化作詞、林哲司作曲で世界観が作り上げられていた。(※中略)
■ソロの自分を想像できなかった
結果的に3年弱となったオメガトライブとしての活動。「メンバーのみんなで何となく年月を重ねていくうちに」バンドを解散する話が誰からともなく出てきたと振り返る。
杉山自身も「人の楽曲でおいしい思いはしたけれど、アルバムの中で数曲を書いたとしてもアレンジは別の人。それではやはりバンドとしての色が出せない」という思いを抱えていた。
「このまま林さんの楽曲で行って。時代が変わってヒットパターンが変わったらどうなのかな。ぼちぼち潮時かなと」
当時の杉山らは20代半ば。「今やっている音楽じゃないものをやりたいのなら、今のうちに形にしておいた方がいい」「30歳になるまでに何かしら形にしておきたい」という考えは強まっていく一方だった。
杉山自身は「バンドが好きでバンドがやりたくて音楽をやっていた。自分の作品を発表したいという気持ちも全くなく、バンドの中で楽しくやれればいいかな」という考えもあり、解散後は別のバンドをつくろうかなというノリでいた。だからこそ、ソロデビューの話には「慌てた」という。
「ソロアーティストという感覚自体が分からなくて。1人で何かをやるということが想像できなかった」
■米ロサンゼルスに「住むしかない」
ソロではデビュー曲の「さよならのオーシャン」をはじめ、自身でシングル曲を書くことになったが、オメガトライブ時代に「がんばって曲を書いててよかった」という。
オメガトライブのオリジナルアルバムの4枚目「ANOTHER SUMMER」では2曲、最後のアルバム「FIRST FINALE」では3曲、杉山作曲の曲が収録された。「プレッシャーはあったけど、楽曲の作り手としても認めてもらえてるんだな、と感じていた」という。
「(当時の曲は)もう林さんの見様見真似。ギターを弾きながらコード進行はこうなのか、とか思って。その中から吸収していったものをこういう風に書けばいいかな、というものを形にしました」
ソロデビュー以降は、当時好きだったアーティストや洋楽のニュアンスも交えたような曲もどんどん書けるようになっていった。
1989年、アレンジャーの新川博の紹介で、米ロサンゼルスでレコーディングを初めて行った。翌年には米キーボードプレーヤーでアレンジャーのトム・キーンに直接連絡を取って、レコーディングのためロスに赴いた。「好きな音楽があるロスに住んじゃおうかな」という考えはすぐに「住むしかない」と変わり、弁護士を紹介してもらってグリーンカードを申請、取得することができた。
しかし1992年春にはロサンゼルス暴動が起き、ロスは騒然とした雰囲気に。暴動後のレコーディングスタジオにはショットガンが置かれるようになるなど、杉山は世の中の流れが変わったことを実感していた。
なんか見たくないなこういうの
レイコ~
あの曲はそれはそれで好き
杉山清貴&オメガトライブ
1986オメガトライブ
カルロス・トシキ&オメガトライブ
ジャッキー・リン&パラビオン
RA MU
菊池桃子
井浦秀知
新ボーカルのカルロスが加入してからもヒット曲出てるし
今でも酒とタバコやってんのかな
もちろん自分で曲も作りたい
今でも音楽でメシを食えてるからそれが正解だわな
なんでこういう人らってロサンゼルスに住みたがるんだろ…
ダサいなって思っててさ
本当に好きなひとと~
最後のイブは過ごしたい…と書いたね
First Christmas Eve for Tow~
キャンドル消して君は~
忘れられない夜になると背中で
髪を解いた~が
Last Christmas Eve for You~
本当に好きなひとと~
最後のイブは過ごしたい…と書いたね
First Christmas Eve for Tow~
キャンドル消して君は~
忘れられない夜になると背中で~
髪を解いた~
カルロス・トシキの世代じゃ
何にでもダサいダサくないを判断基準にしてるから
お前の人生は惨めなんだよ
青い海の底を泳ぐように車は走る🚗~
アメリカなら何でもありだろう
杉山清貴&メガCD
杉山清貴&スーパー32X
ケンイチタロウみたいな不自然さを感じる
杉山清貴はロスにも住んでたけど ハワイは15年くらい住んでた
グループで利益分配することないから、杉山本人の収入は上がったろうけど
解散コンサートもやった。メンバー編成変えて再始動。杉山時代のメンバーはギターの高島さんとキーボードの西原さんのみ
完璧だったから、まだ活動すればいいのに。
当時キーボードは千住明
ps://youtu.be/LeMgrZV_2M0?si=hS5UqXLxxsSGG3LD
もう少しで聴く季節になるけど歌詞的には幸せな恋人達の歌では無いんだよね
杉山さんのドラマティックレインは軽やかなんだろうな
全員帰ってきてるけど。
それでもヒットしてた
コピペ判定されたと思ったら既出だった
おまおれ
60超えてあの声はすごい
86年にソロデビューして90年までの10枚のシングル中9枚を自分で作曲してるから作曲印税がすごく入ったんじゃないかな?
さよならのオーシャン
最後のHoly Night
風のLONELY WAY
あたりはそれなりに売れたから今でもちょっとはカラオケ印税も入ってそうだし。
アイドルみたいなもんか
見た目がいまいち
杉山ひろたかとオメガドライブ
安室奈美恵とスーパーモンキーず
世界で一番の市場がある、業界関係者が集まるという意味でね
アメリカはIT企業はシリコンバレーのように、その業界のオタクが集まってるのよ
好きだったなぁ
武豊みたいな線の細い甘い優男でたまげたわ
年月を経た悲哀が
GTAのような華やかな西海岸と危ない西海岸の
どっちのイメージでもなくなってるらしいな
平家みちよとモーニング娘
カルロストシキ&オメガトライブの最高傑作は花の降る午後
いとうせいこう乙
今や50過ぎたらお笑いですらサブスクとか始める始末だよ
有川正沙子と和泉常寛。
カルロスオメガの一般的に知られてる曲はみんな和泉常寛。
後期に林哲司が書いたり、最後のシングルはユーミンが書いてる
暑苦しくない爽やかな夏って感じで
サターンとスーパー32Xはサターンのほうが先な!
内山田洋と
オメガトライブタワー完成
時々来日コンサートやってる
かなり前にソロで昼ドラのテーマ歌ってたけどいい曲だった
邦楽スレだとこういうゲームネタが出てくるね
洋楽スレだとゲームネタは出てこない
ギャラガーの話題でもナムコのギャラガなんて誰も出さない
グラディウスはアイアン・メイデン、ヴェノムなど、メタルバンドの名前を連想する敵キャラが出てくる。
ワイルドだ
好きだったわ
西部劇時代に比べたらぬるすぎて火縄銃レベル
AKが火縄銃?
EW&Fと愛のコリーダ混ぜたみたいな曲だったな
すごい人気なのになぜ? と思いましたが、真相は?
杉山 そうでね、2年8か月です。そもそも当初はバンドじゃなく、ソロアーティストを
藤田氏は求めていました。先ほども話したように、そこには藤田氏が求める音楽の
世界があり、従って楽曲も自分が描く世界観を作家に求めていたし、演奏もトップの
スタジオミュージシャンを使うという、いわば“プロジェクト”としてやっていました。
でも、僕はいつか売れたら、自分たちで曲を作り、演奏もしたい。そこで挫折したら
自分たちの責任だし納得もする。ところが、売れたらますますその願いは叶わず、
いつしか与えられるだけで、なにも制作に関与しない。こんなことで結果ダメに
なったら自分たちの存在感はないよな、という思いが募り、4枚リリースして、
その夏(85年)すごく売れているときに、運営側にはなにも相談せず、メンバーと
話して「もう俺たち辞めるから」となりました。僕は性格的に言い出したらきかない
ことを周りは知っていたので。
でも、これで解散になったらファンに失礼だということになり、最後に1枚を制作して、
年内のツアーで解散しました。今話したことを全部明らかにしたのは数年前でした。
周りのひとたちも理解してくれました。メンバーとは、「オメガは解散しても、前身の
“きゅうてぃぱんちょす”は解散していないよ」と話していました(笑)。
その後、藤田氏は85年以降、ブラックコンテンポラリーを次のオメガトライブに
求めて、カルロス・トシキをリードヴォーカルに据えて16ビートの音楽を作っていましたね。
へー、そんな経緯があったのか
ソロになってから売れてないよね
今でもオンリユーて唄う曲に頼ってるみたいだし
声質も殆ど変わらないしオーケストラのオケで歌うのは自信あるんだろうね
そんな噂が飛び交ってるけど、それはソフトのせいじゃない。
ハードに限界があったからだ。
そゆこと
最初の4年くらい、10枚シングル出してオリコン10位以内に入ってるからそれなりに稼いだでしょ。ほとんど自作曲だったし
今人気あるのはオメガの曲だけど
共通の元ネタでもあるのかな
ラムーですらハイレベル
リチャード・マークスと並ぶディビッド・フォスターの秘蔵っ子の一人やったな
なんなんすかこれ
火曜サスペンスのED曲のロンリーウェー♪って曲はかなり売れてたろ
前は夏っていうとTVはチューブ推しだったが消えたなw
暑ッ苦しいヤツらだったよ
それから僅か2年後のアルバムNatsukoでは、ほぼ新川博ひとりの打ち込みオケで衝撃的だった
ここまで予算が落ちるものかと
チューブに明け渡しちゃったな
レコード会社の作戦を拒否する反骨心かな?
それは後からのボーカルだったカルロス・トシキ
代表曲は風のロンリーウェイだろ・・・
一部のメンバーが残留してオメガを継承
WANDSみたいなもん
切ないよな
それと山下の曲はクリスマスに必ず聞きたくなる
結成されることが多いけどオメガはアマチュアバンドが全員
採用されたもののバンド名は変えられレコーディングも全部
スタジオミュージシャン
だからメンバーの仲は良かったけど気持ちのズレが早期に
大きくなっていったんだろうな
大ヒットを飛ばしたのは前半3年だけどその後も5年くらい
ヒット曲を出し続けてる
今は歌詞の中の男は純粋で彼女は打算的な悪女だなと思う
それにしても杉山さんは良い声
>藤田がプロデュースし、シングルA面の7曲は全て康珍化作詞、
>林哲司作曲で世界観が作り上げられていた。
ですべてが説明されてるけどチェッカーズみたいなもんだね
ただそれでもアルバムでは自作曲を入れる自由はあったみたいだけど
独裁者でパワハラが凄かったらしいね
「メジャーにしてやる その代わり全て俺の言う通りに動け」
って言われてメンバー共々 不満が溜まってたらしい
儂もそう思う
好きだけどなんか人工的でリアリティを欠くんだよなぁ
菊池桃子ワールドもそうだったろw
最初に扱ってたレイジーは不満が爆発して解散
井上俊次さんだけ残ったけど角松敏生と組めと言われて
逆らったら殴られたので決別
登場する女の人が身勝手すぎると思う
アルバムでも杉山以外の曲はなかなか採用されなかったとか
復活ライブで他のメンバーの曲なのに杉山作だと偽って提出したとかバラしてたな
洋楽パクリの先駆者 今なら訴えられてた
>メンバーとは、「オメガは解散しても、前身の
“きゅうてぃぱんちょす”は解散していないよ」と話していました(笑)。
きゅうてぃぱんちょすwww
これは名前変えられるだろwww
オメガトライブ最後の「ホーリーナイト」ではなかったが外国語歌手ばかりだったので意味的にはすぐかいけつしたのでとくに問題はないです
知識どうもありがとうございます
杉山清貴を聴くと わたせせいぞう のイラストが条件反射で思い浮かぶ
あと稲垣潤一はなぜかラッセンwww
山下達郎のクリスマスイブみたいな駄作よりはよっぽどいいと思うわ
異論なし。
マライヤ
山下
オメトラ
あとに続く定番クリスマスソングってなに?
中学生の頃、父親の車で試してみたけど結構座席前の方にして、さらに手前にちょこんと座らないと無理じゃね?ってなって
もしかしてスポーツカーとかだと可能なのかとか姉と話し合ったけど分からず終いだったw
杉山が金に目がくらんで解散
現にソロになってからほぼ自分で作曲した曲になっている
「ソロの話も大人達が勝手に進めた」と言ってるようだが
それならオメガの体制(あくまで作家の曲を歌う)を維持してたはず
90年代の主題歌ブームにも乗せてもらえなかったし
人間的に評判悪いのは事実だろうな
金が欲しいから再結成
一応ファイナルのツアーらしいけど45周年にはまた杉山清貴&オメガドライブでツアーをやりそうw
アマチュアのコンテスト荒らしの頃は桑名正博だったんよ
つまり相手が自分の好みどストライクって意味じゃないだろうか?
♪トンネルを抜けたら~
かな
曲作って儲けて何が悪いんだろう
パラビオンだろw
9か国語話せるんだよね
人気根強いよな
80年代のあの自由気ままで熱かった時代を
クールに表現したプロジェクトだったからな。
杉山オメガの価値が上がった気がするw
去年だかのライブ映像みたけど観客老人ばかりでちょっと悲しくなったわ
オメガドライブは
>>1みたいに表向き取り繕ったカッコつけたこと言ってるのが悪いんだよ
杉山とか小田和正は偽善臭い
でも日本語が不自由で生歌も怪しかった
ドラマの主題歌だったがリニューアルで江口洋介に変わるw
スタレビもBBクイーンズのおばさんも陣内大蔵もそうでしょ
影響力あったんだね
本人たちも懐メロだと自覚してるしファンも懐メロを求めて
会場に行ってるのに何が不満なんだ
偽善なのは鈴木康博だろうが
杉山と同じようなこと言って、ソロになったら杉山程の数発ヒットすらない
>>201とかな
ワイのカラオケの定番曲や
メロディーメーカーとしてかなり優秀な人
他に水の中のアンサーもオリコン1位になったね
初期~中期のアルバムも本当素晴らしいと思う
本当の事情は知らんが
オメガ時代の杉山作曲のミスティナイトクルージングとか林哲司の曲に見劣りしなかったからな
あの曲で自信を深めたとか何とか見たことがある
オメガ辞める頃にはカルロス見つけたからプロデューサーはそっちに夢中になってたし
操り人形嫌だと辞めたんだからそりゃソロで自分の曲でやってみろやと言われるのは当然では?
ドラマ「ジャングル」のエンディングテーマ好きだったわ
だから?
>>1のように表向き取り繕ったような綺麗事並べてる杉山は悪いわけだよ
だいたいよく読んでみろよ
林の曲ばっかりやっててこの先ヒットパターンが変わったらどうするんだと思ってた」奴がなぜ
「ソロになって林の見様見真似で曲作ってた」とか言ってんだよ
とってつけたような嘘並べてるからこういう矛盾した説明になる
「金が欲しくてソロになりました、そうすれば自作曲で印税も入るしギャラも等分する必要はないから」と正直に吐けよと
必死過ぎて大笑いするわ
はっきり言えよ。シティポップとかAORとか言われるような歌が自分は嫌いなんだって
お前のその言い草こそ偽善そのものだ
それでこそセガ信者といえよう( ・ิω・ิ)
こんなもん聴きに行く若い奴がいたらそいつの方が悲しい
それよりID:+abav0Ql0をhissiで検索と面白いぞ
よくもまあ貴重な休日をこんな使い方するなあと情けなくなる。友達ほんといなそう
サヨナラ王さん
反論になってないな
何故今になってオメガトライブ叩きと闘ってるの?
5chが始まって25年立つがこの一年くらいそんな奴は出てこなかったぞ
杉山側に業務委託でも受けたか?
hissiとか工作員臭いことやってんなよバレバレなんだよ
林の手法を真似て林のようにならないことと
林の曲ばかり歌ってたらこの先時代が変わったらどうするのか危機感を抱くのとは話が違うな
時代が変わったときのために林の曲から離れたというなら
林の曲を見様見真似で自分で曲作ってるのはつじつま合わないだろ
それならソロになっても林の曲やっとけよって話だわな
操り人形なんかどこに書いてるんだ?
オメガでやってた方向性は自分たちの理想だったと>>1に書いてあるが?
最近いろんなインタビューで語ってるよ
オメガトライブの杉山さんのイメージを壊さないように朝ごはんで何食べたか聞かれたら本人は納豆食べててもカフェオレとクロワッサンと答えたりインタビューとかでかなり気を付けて答えるようにしてたと
立ち振る舞いから歌い方もプロデューサーにかなり決められてた大変だったと
冷めてないとあのデビューの仕方はできないですよとも言ってる
無料で読めるインタビュー記事色々あるので読めば分かるよ
最近は相当な数のインタビュー受けてるので探すのめんどいので興味あるならそちらで漁ってくださいな
若い頃だとそんなこと続けてたらそりゃ売れても好きなことさせてもらえないらもう嫌だとなるのも当たり前だと思う
追っかけに「来んじゃねぇ!」とかわざと言ってたって
今の方がファンと交流してるって
むかしトップテンでレコードジャケットの話になって「なんでメンバーが写ってないんですか?」とかも聞かれてたなぁ
すごくイイ!
用意された物を歌ってただけ
オメガトライブなんて演奏もさせてもらえなかった
歌番組とライブでは演奏してたから
歌番組での歌い方の方が好きだな
レコーディングは軽く歌わされてるから
>>225
追っかけにそんなこと言ってたのは知らなかった
今の方が軽く歌えるようになったと言ってたけど昔の歌番組での好き勝手な値方になる時の方が好き
?
音楽性の話してたんじゃなかったのか?
「音楽的に操り人形が嫌なら自分で曲作れよ」
っていう話だったはずだが?
音楽的には理想だったと>>1に書いてあるが?
ロサンゼルスのことロスとか言うし。
これ好き
あの風景写真のジャケットめちゃくちゃ好きだったな
ジョージマイケル「Wham!解散若気の至り」
杉山清貴「オメガ脱退若気の至り」
ソロや別プロジェクトでやっていくだけの才能と自身があればいいけどそんなのはごく少数
>>10
再結成する最大の理由はこれでしょ
10年20年経つと人間多少は丸くなったりものわかりも良くなる(人によってはこれを「妥協」と呼ぶ)
中にはオリジナルメンバーや黄金期のメンバーが一人(再脱退or逝去)になっても続けてるバンドもあるし
サリーも似た理由で解散してた
80年代ってアルバムを年2枚出すのが普通だった
そりゃあ消耗も早いよ・・・
さすがにライブではゴールデンボンバーみたいなことは
してないよw
それにレコーディングにスタジオミュージシャンを使うの
は本当に普通のことらしいし
プリンセスプリンセスとか有名だよね
オメガとライブ
オメガ時代なら「REMEMBER THE BRIGHTNESS 」
ソロ時代なら「SHADE 夏の翳り」
杉山清貴は「青空が目にしみる」聴いてみ歌の上手さがよくわかる
多摩堤通り?
角松敏生もこんなような歌詞を書くよな
あの曲良かったね、CD買ったわ
ミズノのランバードってブランドのCMに使われてた
杉山さんでキミは1000%聴いてみたかったw
プロデューサーの戦略は絶対ではないけど上手く行った例
チェッカーズとかもデビュー曲のギザギザハートの子守唄はメンバーには大不評だったが
プロデューサーに今はガマンして歌え2枚目の涙のリクエストで絶対に売れるからと言われて本当に売れて
100位圏外だったギザギザもトップ10入りし鶴久もプロの仕掛けはすごいと感心したらしい
また来年
湘南カテではサザンに勝てず
ボーカルは「アニメじゃない」の新井正人
之ぞ80年代湘南御三家バンド
サザン、チューブ、オメガって訳だい
普通知らないだろ
新加勢大周みたいなもんだよ
黒歴史じゃん
日本デビューの曲はCM(ソニーカセットテープ)にも使われてた
今では頭も禿げ上がったが良い思い出だ
今の奥さん?
アーティスト色が強かったからね
かつプロデュース能力も高い
しかも男前
しかも気さくなにいちゃん
WAになって踊ろうでも有名
スタジオミュージシャン使うのは演奏技術云々よりスタジオ代が高くなるのを防ぐ為らしい
バンドマン本人が納得いかねえからもう一回録らせて!もう一回!とやってると長引いてスタジオ代が嵩むから
今時は機材発達してある程度の修正可能だしスタジオミュージシャン雇う方が高いから少なくなってるとも
違う
阪神・淡路大震災でどこかに引っ越したらしいけど音信不通
ありがとう
若い子のシティポップブームは劣化した本人の生演奏よりもカバーやDJで聴くものなんだけど大丈夫か老人
悲しくさせないでくれ
日本より500年遅れてる
けっこうレアだよね
黒っぽさを前面に出すことに衒いが無くなった
なるほど
その理由は納得
杉山が脱退して残りのメンバー+カルロストシキで続行した
杉山がゴネたんだろう
自分の曲でシングル出したいと
じゃないと金にならないと
現にソロになってからは基本全て自作曲でやっている
さよならのオーシャンなんかガラスのパームツリーとほぼ同じなんだから
オメガでやっててもおかしくなかったような曲
金目であったことは明らかなのになぜ隠すのか
>>261
出てきた時期もチェッカーズと同時期だからレコードビジネスってそんなのがデフォルトではあったんだろうな83年頃
ほんとだ…今の姿をYouTubeでチェックしたらそっくりだな
若い時はザ・グッバイのやっちんを公務員にした感じのルックスだったのにな
昔は中野浩一にも似てた
サングラスかけるとタモリw
C-C-Bなんかもあったしオリジナルをやらせないのは
珍しいことじゃなかったね
解散ツアーもしたのに何言ってんだ?
しかもツインギターでキーボードもいた杉山清貴とオメガトライブのメンバーは6人。
そこからカルロスのオメガに引き続き参加したのは2人だけ
おっと廣石さんの悪口はそこまでだ!
戸塚宏に似なくてよかったな
山本達彦や南佳孝辺りと同じく短編小説的
オメガの前に藤田さんが担当してたレイジーも井上俊次さん
だけは事務所に残ってるし解散したからといって全員辞める
わけじゃないもんね
一夜のアヴァンチュール
まあ歌ってる人は女性に興味がないんだけど
なんか分かる
?
逗子・葉山・・・オメガ・稲垣
池袋のマルイで買ったなあ
アレンジが洗練されてる
beyond・・・とか編曲がうるさくてちょっとダサい
ミスドリーマーとか名曲じゃん。
なるほどw
この人たちだけすごく地味に見えて
でも人気はとってもあった
具体的に、誰もが納得するぐらい具体的に何がどう迫られてたのか言ってくれないか?
↓
②杉オメ時代
↓
③独立後は必死に林哲司のマネをする
独立後に①の路線に戻るのなら分かるが、明らかに林哲司の路線をパクって杉オメ時代の遺産で喰ってるやん?
解散しても事務所は辞めなかったから「メンバーを集めて
バンドやるか・・・」と漠然と考えてたら藤田社長から「お前
ソロデビューしろ」って言われたんだろうね
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