2023年11月16日
構成・文/高橋史門 撮影/高橋定敬 ヘアメイク/松田麻希
70年代後半、自らバラエティー番組進出を志願、一躍人気アナに。以後、半世紀近くにわたってTV界を駆け抜けてきた名司会者・南美希子。
今回は、昭和時代のテレビ朝日を彩った伝説のスターたちとの交流について。彼らの知られざる素顔や立ち振る舞い、吐露した本心をここに明かす!!(第4回は、12月中旬に配信予定です)。
【第3回】”女子アナ”という言葉にやたらと反応していた山城新伍
――77年にテレビ朝日に入社した南さんは、入社1年目から顔出し出演番組を掛け持ち、引きも切らずでしたが、一番最初に芸能人とのコンビでレギュラーとなった番組は何でしたか?
南 『笑アップ歌謡大作戦』(78年~82年・テレビ朝日)です。俳優の山城新伍さんの司会のアシスタントを務めさせて頂きました。
その頃の山城さんは飛ぶ鳥を落とす勢いで、売れに売れていました。世界はオレ中心で回っているんだと言わんばかりの自信に満ち溢れたオーラを発散させていました。
――本来の俳優業からすそ野を広げて、軽妙なトークを武器に司会者としても引っ張りだこで、冠番組は数知れず。クイズ番組『アイ・アイゲーム』(79年~85年・フジテレビ)での、出題の際に伏字部分を「チョメチョメ」と表現するのは、流行語にもなりました。
南 懐かしいですね。「チョメチョメ」はずいぶん流行りましたよね。山城さんは言葉というものに対して、ものすごく感度が鋭い方でした。
今でも思い出して笑ってしまうのは、山城さんが当時”女子アナ”というワードがツボにはまったらしく、ことあるごとに「卑猥やなぁ(笑)」とおっしゃっていました。
現在では当たり前に定着していますけど、山城さんは別の解釈でとらえていたようです(笑)。
――山城さんらしいエピソードですね。艶福家としても有名でしたが、実際のところは……?
https://wpb.shueisha.co.jp/news/entertainment/2023/11/16/121316/
引用元: “元祖バラエティ女子アナ”が激白!渡哲也、天知茂、山城新伍etc……。昭和の大スター、驚くべきその素顔とは? [朝一から閉店までφ★]
NHKのハーフ女子アナにケチつけて、彼女出なくなっちゃた。
かわいそうで仕方がない。
葬式に別れた妻も娘も一切来なかったらしいな
しかし70歳で亡くなるとはなあ
山城新伍のジャケット腕まくりスタイルは冴羽獠のデザインにインスピレーションを与えた
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