9/21(土) 15:02 佐藤剛 (集英社オンライン)
https://news.yahoo.co.jp/articles/2c683d387c84d3616709606eb0e063c05faacf8f
1983年の9月21日にデビューしたチェッカーズ。そのアイドル的ルックスと、バンドにコーラスとサックスを含めた当時としては珍しい編成で人気を博したアーティストだが、デビュー曲『ギザギザハートの子守唄』にはとんでもない逸話があった……。
■思い出づくりのような感覚で出た大会で最優秀賞
チェッカーズは1980年のバンド結成以来、リーダーの武内亨とヴォーカルの藤井フミヤ(当時は藤井郁弥)が中心となって、地元の福岡県・久留米市で着実に人気を獲得。ヤマハが主催するアマチュアバンドのライト・ミュージック・コンテスト(以下LMC)の全国大会に出場すると、ジュニア部門で最優秀賞に輝いた。
実のところ、武内やフミヤが高校3年生になっていたため、「卒業して就職したらこれまでのような精力的な音楽活動ができなくなる」ということで、思い出づくりのような感覚でLMCにエントリーしたのだという。(※中略)
■泣くほど嫌だったデビュー曲だが…
1983年の初夏に行われたレコーディングでは、9月21日に発売されるデビュー曲だけでなく、翌年1月21日のセカンド・シングル、さらには5月21日のサード・シングルまでもが完成した。あとはどの曲を先にリリースするかの順番だった。
そんな中、『ギザギザハートの子守唄』がデビュー曲の候補にあがる。まずはインパクトのある曲で世間一般の注目を集めておき、親しみやすいオールディーズ調の『涙のリクエスト』をセカンドにして、大きなヒットを狙うという作戦だ。
しかし、映画『アメリカン・グラフィティ』の世界に刺激を受け、ロックンロールやR&Bといった洋楽のカヴァーを自分たちなりに日本語でやっていたチェッカーズにとって、『ギザギザハートの子守唄』はかなり抵抗を感じる楽曲であった。
日本における王道をいく伝統的な七五調の歌詞のせいだろうか、言葉のニュアンスがひと昔前の歌謡曲=演歌のように感じられたのだ。
しかし、デビュー前からプロデュースと作曲を任されていた芹澤廣明は、7人のメンバーたちにプロのバンドになるためのレッスンをしていく中で、不良と呼ばれていた少年たちの純情さ、仲間を思う気持ち、あるいは彼らが時折見せる反抗的な態度などから、チェッカーズにはぴったりの曲だと思うようになっていく。
芹澤は当時を思い起こしてこう語っていた。
「強烈に嫌がっていたよ。泣いてたもの。『嫌なら故郷に帰れ』って言ったら、一晩か二晩考えたんだろうね。マネージャーから連絡があって、やっぱりやりますと。そのときに『売れますか』って聞くもんだから、『売れるかは分からないけど、やらないと始まらない』と言ったんですよ」
とはいえ、芹澤はこの時、別のハードルについて危惧していたという。それは3番の歌詞に出てくる「仲間がバイクで死んだのさ」という部分が、所属事務所のヤマハ音楽振興会から問題視されることを心配していたからだった。
親会社にあたるヤマハはホンダと肩を並べるオートバイの世界的なメーカーだ。そして危惧していた通り、事務所からはストップがかかった。だが、芹澤はそこで自分の意志を曲げることなく、「もしも駄目ならばプロジェクトを降りる」とまで宣言して押し切った。
■そもそも『ギザギザハートの子守唄』は真田広之の曲だった!??
『ギザギザハートの子守唄』にはインパクトも普遍性もあり、聴き終わった後には切ない印象が残る。さらに50年代後半に日本で巻き起こったロカビリー・ブームにタイムスリップするように、不良少年が魅力的だった時代の影が見え隠れする。
もとはといえば、芹澤が真田広之のために康珍化(かん ちんふぁ)の歌詞を得て作った曲だったが、ボツになったにもかかわらず大事に温めてきたのは、「楽曲に相応しい歌い手に出会えれば、きっとおもしろい現象が起こる」と信じていたからだろう。
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
前スレ(★1=2024/09/22(日) 06:20:29.05)
http://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1726953629/
引用元: 【音楽】『ギザギザハートの子守唄』本当は真田広之が歌う曲だった!? チェッカーズが「泣くほど嫌だった」デビュー曲の裏側 ★2 [湛然★]
周りの女からめちゃくちゃ迷惑な存在として嫌われてそう
■50代女性がジャニーズばかり観ている件を調べてみた
女性は年代ごとにバラエティが豊かです。20・30代女性はゲーム実況、お笑い系のほか、VTuberグループ「にじさんじ」と、同グループに所属するVTuberのチャンネルが複数ランクイン。これらのVTuberはゲーム実況動画の投稿も多いことから、その文脈で見ている人が多いことや、推し活的な要素が強いことが考えられます。続く30代女性はさらに多様なゲーム実況チャンネル、40代女性は俳優・大食い・整体・料理系など幅広いチャンネル、50代女性はジャニーズチャンネルなど、多様な嗜好性がうかがえました。
https://www.valuesccg.com/news/20221006-5142/
芸能アイドルを根拠に「チビはモテる」と喚いてる事自体がおかしいんだよな
本人も会社も女に受ける為に必死にイケメン宝塚的コンテンツを構築してグループや事務所内や芸能界の共演者やスタッフやマスコミ諸々との人間関係に苦慮し、関係ジムにエステにメンテに化粧と容姿に全振りし、汗塗れで歌って踊るマルチタスクを要求される
山田涼介なんてファン向けのインライなど起きてる時間は全て厚化粧白塗り状態
男は地位肩書か身長がないと女が寄り付かないくらい価値がない
女の衆目を集めて課金して貰う価値をつける為にジャニーズなど芸能人ですらメンバー選考やらグループ構想や舞台装置やら売り出しやら露出やらプロデュースやイメージ操作にあれだけ金をかけるし、他事務所のイケメンを追い出してメディアに大量露出させて売り出し、事務所やグループ内の人間関係や成長物語といったストーリーを付加してコンテンツ化する
男も容姿のピークは10代なので、その頃から煌びやかな衣装やステージで踊らせて刷り込みを行い、その頃についた同世代おばさんファンの課金で生きていく
バンドだって俳優だって世に出て売れてファンが付いた全盛期は20代前半
中年以降はその時付いた太いファン相手に商売していく
単身かつありのままの自然体でシンプルなファッションでも女にキャーシャー言われる
現実にそんな存在だったのは若い頃の吉田栄作や反町みたいな高身長イケメンのみ
そのような存在だったチビイケメンはいない
小林旭が今ではないなと断って山本譲二に回ってきた
こいつ毎日こんな事ばかり考えてるのか
キモチワルイやつだな
「新人が自作の曲じゃ売れない。俺の曲を歌わせる」
と言われたのに拒否した原田真二
何でこんな古臭いっぽい歌が流行るんだろうフシギに思ってた
大人が懐かしがってたくさん聞くから売れてるのかなと
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1726925847/
弟の尚之少し期待したが結局大した事なかった
どうせ盛り話に創作をくっけたガセだよ
40年も経ってからなんで今頃でてくるの??
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1726913985/
それだ!
誰かに似てるってずっとモヤモヤしてた。
ワロた
でもこれはもう既に売れたあとだからだろう
パフォーマーとしてはフミヤ他チェッカーズのメンバー凄いよ
あんな演歌みたいな曲でもロックダンスチューンにしてしまうんだから
15で不良とゴムしない♪
あ~あ~わかっちゃいるけどゴムしない♪
ギザギザチンポに(パンパン!)ゴムしない~♪
その次はラッコブームだった🦦
なにこれ、全然おもんないんやけど。
角川映画御用達の若手俳優だったから歌も歌わされる
全国的にはどこら辺から売れたんだろ?
ありがとう旭さんw
ビートたけしの亀有ブラザース
自分の歌を下ネタにされてもノリよく本人が登場してくれたりそうやってキレたりと両極端に分かれてた
可愛い系でデビューは嫌だったろうね。
2曲目の涙のリクエストが大ヒットしてた時に歌番組(確かベストテン)で
「デビュー曲もランクインさせてください」っていう趣旨のことを言ったら本当に急上昇して、
3曲目も合わせて3曲同時にベスト10入りしたんだよね
見てたから憶えてる
ギザギザは松井直美で初めて聴いた
チェッカーズはオリジナルの方が良いと思ってた
高校教師ではないと思うが
ラジオ体操の歌
フミヤは国鉄だかJRに入ったくらいだから真面目な青年だったんじゃねーの
プロに任せて正解だったね
でもA面のプロ作曲の方がダントツで良かったギザギザを除いて
息子さんはパーツは似てるよな
歌謡曲には長調より短調が似合う
3人で踊ると華があるね
前にフミヤ1人ではあんなに人気出なかったと思う
ジョージ・マーティンのHow do you do itを拒否してLove me doでデビューしたグループみたいだな
『売れなきゃ好きなことなんて出来ねえんだよ』
『やりたいことあるんなら売れてからやれ!』
大変な世界なんだなぁって子ども心に思ったな
ビートルズが拒否したのは2曲目だよ😙
吉川晃司(デビュー当時)「好きなようにできるあなた方が羨ましいよ」
アースシェイカーや44マグナム 「俺らからすりゃ(売れている)お前のほうが羨ましいわ」
チェック柄の衣装来てメンバー全員で
人の多い所歩き回ったとか言ってた
デビュー当時は福岡の先輩である
クリキンを待ち上げてたな
売れたらクリキンの話題全くしない違和感
あの当時もう伊賀忍法帖や里見八犬伝で角川映画の主役やってんのに
16 ↓ ジェラシー 井上陽水
17 ↓ 長い夜 松山千春
18 ↓ 群青 谷村新司
19 ↑ 青春の嵐(ハリケーン) 真田広之
20 ↓ シティ・コネクション エマニエル
■同 1984年5月28日付
1 ← 時間の国のアリス 松田聖子
2 初 メイン・テーマ 薬師丸ひろ子
3 ↓ 哀しくてジェラシー チェッカーズ
4 ↓ サザン・ウインド 中森明菜
5 ↓ 愛情物語 原田知世
6 ↓ 君が、嘘を、ついた オフコース
7 ↓ 娘よ 芦屋雁之助
8 ↑ ギザギザハートの子守唄 チェッカーズ
9 ↑ 君たちキウイ・パパイア・マンゴーだね。 中原めいこ
10 ↓ 気ままにREFLECTION 杏里
11 ↑ 晴れ、ときどき殺人 渡辺典子
12 ↓ 夏のフォトグラフ 石川秀美
13 ↑ ふたりの愛ランド/渚の誓い 石川優子とチャゲ
14 ↓ 涙のリクエスト チェッカーズ
15 ↓ 稲妻パラダイス 堀ちえみ
16 ← 青春のいじわる 菊池桃子
17 初 STARSHIP ALFEE
18 ← 長良川艶歌 五木ひろし
19 ↓ モニカ 吉川晃司
20 ↑ 真夜中すぎの恋 安全地帯
分かるw スレタイでどういうことって思うんだけどそこまではしたくないんだよね
三行にまとまってないならいいやってw
高校卒業後に国鉄に就職してるけど、お父さんも国鉄なんだよな
当時コネとかあったのかしら?
>>52
前スレでも言われてたが、当時のジャニーズはそこまで力がまだ無かった
1987年に光GENJIがデビューして大ブレイクで力をつけたがブームは3.4年ほどで終わり、その後またジャニーズ氷河期が訪れ、少し間を空けてのSMAPのブレイク&国民的アイドル化で揺るぎない力を手に入れた
ライバルを干したりだ忖度求めだし始めたのは90年代半ば辺りからだと思う
個人的には光GENJIで恩を売ったMステに圧力かけれたのが大きかったんじゃないかなと
伝家の宝刀「⚪︎⚪︎出すならうちのタレント全員引き上げさせます」発動w
涙のリクエストで売れてからは鶴瓶の突然ガバチョに出てた
昔は鉄道関係は親族がそこの社員だと就職に優位
私鉄なんかだと親が鉄道会社社員だと家族はそこの電車運賃は割引またはフリーパス
>>67
SNSのショート文言に慣れた最近のヤングまたは文字読むのがめんどくさい老人
映画『伊賀のカバ丸』での美少年役なんて今となっては黒歴史だろうな
格好悪い
ベイシティーろーらずの真似
こんなデヴュ最悪と思っていたが
当時の歌謡曲に興味なしwwwwwwww
日本の唄ダサ
懐かしいけど
洋楽ジャズファンクばかりきいていた
市営地下鉄職員になってたのはそういう事
おそらく親族が市営地下鉄職員
すぐ見かけなくなったがおそらく辞めたんだろう
レンタルLPからカセット録音のがまだある
バブル以前はそういうのあったよな
アホでも安定企業に就職できる
まあ時代的には現在と違って公務員になるなんて若いのに夢のない奴だなって時代だったが
郵便局とか一昔前までコネ就職よくあったもんな
市のゴミ回収とか、働く時間短いのに高給だからコネで息子入れる人とか当たり前にいたとか
バカどころか⚪︎障でも高給取りになれると
この記事は芹澤だもんな
そのことにとても違和感ある
トオルとフミヤが出会ってチェッカーズが誕生したのにこの二人は版権ないなんて芸能界は恐ろしい
フミヤはソロで売れて良かったよな
高杢の暴露本読むと解散にもガッツリ絡んでるようだし
チェッカーズのスレが立つと異常にフミヤ叩きがあるけどそれも違和感あるんだよね
芹澤から離れたフミヤは賢いと思う馬鹿じゃないよ
本当にそう思う
雪解けなんじゃないの?
知らんけど
絶対に許さないよ
一方的に悪者にされても黙ってたフミヤにファンは感動したんだよ
チェッカーズ=フミヤとアブラ(トオル、ユージ、ナオ)
それが答えだ
芹澤と高杢と鶴久の顔なんか見たくない
尚之が中学に入学した時に、兄貴のフミヤが一番小さいのに下っ端ゾロゾロ連れて歩いてたのを見て誇らしかったと語ってたのをどこかで見たなw
でもそのフミヤをヒゲは顎で使ってたらしい(ヒゲ談)
いつまでも何の努力もしないまま田舎のガキの頃の力関係のままいれると思ってたヒゲも凄い
>>82
チェッカーズの権利は全て事務所に残したまま退所してるんだよな、フミヤと他3名は
それぐらい解散したかったと
結局残ってた3人も退所して今じゃその事務所はチェッカーズの版権管理だけしてるらしいが
フミヤに頼み込んでチェッカーズに入れて貰ったのが高杢でしょ
暴露本ではトオルが高杢入れたくなかったみたいな立場が強いとは思えないし
芹澤のパシリしてたのが高杢と鶴久って感じじゃないの
解散後の状況にもピタリと合うしね
チェッカーズはまだまだ人気ある段階でデビューから関わってる作曲家の先生を捨てたのが凄い
高杢は芹澤から離れオリジナルをやるって時も「恩人を裏切るのか!」と大反対したらしいが、トオル達は「このままやっててもいずれ絶対ダメになる」と人気絶頂の頃から危機感持ってたらしいね
揉めに揉めて「久留米に帰る」とまで言いながら逃げ出すようにヤマハ辞めてオリジナルに転向したとトオルが語ってたの見たな
それでも解散まで固定ファンついたまま紅白で最後迎えるぐらいの人気保ってたんだから正解だったんだろうね
バンドにも入れる気なかったみたいだけど情に負けて入れてしまったのが間違い
まさにヒゲ
横取りしたというのは聞いたことあるなー
芹澤の曲のままだと10年も続かなかったと思う
80年代後半からはバンドブームでアイドル冬の時代
聖子と明菜もアイドルからアーティスト売りになっていくし
菊池桃子がラム―になるし
秋元もおニャン子解散させて工藤静香がソロデビューして中島みゆき曲を歌って
中山美穂はWANDSとコラボしてミリオンヒット出したりして
90年代は高橋由美子くらいしか正統派アイドルで売れてなかった
涙のリクエスト 67.2万枚
哀しくてジェラシー 66.2万枚
星屑のステージ 60.4万枚
ジュリアに傷心 70.3万枚
あの娘とスキャンダル 51.6万枚 ←ここでもう失速してるしな
TRUE LOVE 202.3万枚 ←ソロになった途端
ヒゲは理容院息子。
弟は番長。
本名の藤井郁弥は名乗れなくなって藤井フミヤにもしたが何も予定はなくて
フミヤが音楽活動再開するきっかけはあすなろ白書の主題歌やらないかということからだった
キムタクだけでなくSMAPを売れっ子アイドルにまでしたんだから当時の月9は凄かったね
ジャニーズがあんなに大きくなるとは思ってなかったがSMAPの解散はなんかデジャブだった
キムタクは事務所に残ったのでフミヤが出たチェッカーズとは真逆だなと思ったりもした
バンドボーカルで自分が日本一かっこ
よいと思ってたが太陽の小町エンジェル
で夜ヒット競演した稲葉浩志にコイツに
は勝てないと思って解散決意したと語ってた。
フミヤートとかいう絵画イベント
やってた
ミッドナイトシャッフルじゃなくて?
あの曲出た時なんだか凄い違和感あったんだよな
今更マッチがこんな歌感もあったし、既に大人気人気になってたキンキ光一主演のドラマの主題歌だしで
でもキンキデビュー前か
SMAP青いイナズマもデビュー前キンキ
の曲。
実は福岡駅か久留米駅で弾き語りしてた素人の青年が歌ってたのをフミヤがたまたま聴いて…っての
誰か覚えてないかな?
バンドみたいに自分らで作詞作曲してるものとばかり思ってた
オリジナルやりたかったけど初期はプロでやれる能力が足りずアイドルとしてデビューした
アルバムやB面曲ではオリジナル曲やってた
何もやることなかったんだろうと察する
何かと言われるが絵の個展が当時のフミヤを助けたんだろうな
吉川晃司と対談してたけどソロになった時は事務所もないから大変だったと言ってた
一人でやろうとしか思ってなかったというから人間関係に疲れてたんだろうなと思った
移籍したら1年リリース出来ないってのはよくあった話
藤井兄弟がソニー移籍前にFブラやったのはそれかなと思ってる
チェッカーズ解散までの経緯
セルフプロデュースになって以降、フミヤ以外のメンバーがそれぞれソロを始め、
公私ともに皆別活動になる
※フミヤ曰く「バンドのボーカルがソロで他で唄えばバンドの存在意味がなくなる」
とのことで、フミヤは極力ソロでは唄わなかった
メンバーらがソロ活動してる中、フミヤが暇潰しに暫しロンドンだかどっか海外に遊びに行く
↓
その間に既に他のメンバーで次のアルバム制作に取り掛かってたところ、
完全にカブレて帰国したフミヤが「今の向こうの流行りはこんなんじゃない」とグッチャグチャにする
メンバー「…‥(何だよコイツ)」
フミヤ「…‥(オレはソロもやらずにおとなしくしてんのにナンだよ)」
↓
バンドの雰囲気最悪に
↓
フミヤ「なんか空気悪いからオレ抜けるわ」
バンメン部隊「んじゃ解散すっか」
髭&麻呂「ざけんな、ボーカル変えて続けんぞ」
↓
多数決で5-2だか4-3で解散決定
↓
髭「オレのこれからの人生どうしてくれんだ?オレの家族はどうやってメシ食ってくんだ?
オレがデビュー直後に辞めたいって言ったとき、オマエ(フミヤ)に引き留められたから残ったのに。
オマエの所為なんだから解散までの1年間はオレの奴隷になれ!!このクソチビが!!」
お前どうせ別のスレではあんなの誰でも書けるとかほざいてる口だろ
松本隆先生、宇崎竜童先生、久石譲先生によるええ曲
クロベエがヒゲと鶴久と共に事務所に残ったのは、85年の父親の電車事故の補償や事後処理を事務所が全てやってくれた恩義からだったらしいね
他バンドやってたのにフミヤらに山に埋めるぞと脅されチェッカーズに入れられ、成功したものの解散後は上手くいかず芸能界から遠のき大型トラックの運転手やって
責任が持てないからと独身を貫き
40歳にして早逝
でも最後はアブラーズでやれたから良かったのかな
子供の頃クロベエファンだったから、今でもクロベエ思い出すと胸が痛くなる
いやそんなこと言わないわw
ただこの話題で2ちゃんが一時期盛り上がってたのをたまたま見てたんだよな
もう20年ぐらい前になるのかな
そもそもそんな興味なかったし真相わからぬまま飽きてスレ追わなくなった
気づいたら大人になっていた
ナイフみたいにとがっては
あるいは無茶してとか
代替は考えようがあるのがプロじゃね
間違えました
唯一の藤井郁弥名義ソロ
2曲目の涙のリクエスト3曲目のジュリアにハートブレイクが売れてそのついでに売れたようなもん
この曲だけ異質だったもんな
その前に林田健司のバージョンも出てないか?
森脱退から間髪入れずに出たから
絶対売れる曲選んだんだなって思った
さすがアラ還掲示板
フォーライフ?
デビュー当時のあのお金の掛けられかた売り出し方
子供心にすごいなと思ってた
アルバムでは初期からオリジナルやってるんだし自分らだけでやりたいと思うのは当たり前ではなかろか
伊賀のカバ丸の主題歌とか歌っていたよな
まだ6人組時代のSMAPメンバーが持ち回りでパーソナリティをやってたラジオ番組内で
林田版の青いイナズマを森がおすすめの曲として紹介してた記憶がある
哀しくてジェラシー、星屑のステージも
それくらい当時は人気あったしクラスの女子もキャーキャー言ってたなあ
バブル直前の華やかな時代と上手くマッチ(近藤じゃないよ)したんだと思う
15でSHOGUNと呼ばれたよ
1962年生まれ 学年は違うけど
1.自分がやりたい事
2.自分にできる事
3.ファンが自分に求めている事
が全部一致するのはなかなか少ない。
スピッツの草野はパンク志向だったけど声が甘過ぎたから諦めて
甘い声を生かした抒情系ポップスで大成功した(1が欠けて2、3を満たしてた)
めんたいロック志望だったけど同様に声が甘過ぎた福山も全く同じ。
チェッカーズ(というよりフミヤ)の場合はまず3ありきでそれをゴリ押しで
やって大成功して、徐々に自分のやりたい事とすり合わせていった。
マジ?!
あのギャグアニメの?!
実写映画のカバ丸で
沈寝さんの役をやってるんだね、真田さん
若い頃はいろいろやらされて、今の大俳優の地位を築いたんだね
若い頃はアクションもできるアイドル俳優枠で何でもやった。
その後トレンディドラマのブームに乗って路線変更したものの不倫で干されたw
その後も実力派俳優として地位を確立しつつあった時にラストサムライで
海外に目を向けるようになった。
ライバルはCCBだろ
見た目もいいアクション俳優だろ
高校教師とか真田じゃなくてもいいような役やっているなと思ったわ
早めに撤退して正解
真田広之ね
初めて見たのは映画燃える勇者
確かにアクションしまくってた
好きなドラマはこんな恋のはなし
松嶋菜々子とやったやつ
大所帯バンドスタイルやから被らんやろ
こんなの信じてるのはチェッカーズのファンではない
ただのフミヤアンチ
PATiPATiにチェッカーズの解散についてはガッツリ残ってる
何の権威もないカラオケ大会みたいなのだよ
曲もカバーばっかり
オリジナル曲で勝負のポプコンだイーストウエストで優勝しても売れない歌手もいるのに
こんなんのジュニア大会で賞とっただけでデビューして売れたなんてある意味すごいw
原田真二は自作曲で正解だよ
今聞いても凄い、天才的ソングライター
わりと有名な作詞家だが、初めて読み方しった
こう チンゲってみんな読んでた
ソロでデビューさせようということだったらしい
プロの世界の厳しさというけどある意味優しさともいえるよね
プロの目は確かだった
こんな謎記事が掘り出されたんだな
詞は松本隆という王道作詞家だけどな
最初は、すんごい日本語のうまい外人グループなのかと思ってた
ある意味天才
ちっちゃな頃から大食いで、15で横綱と呼ばれたよ、とか
チェッカーズだけ持ち時間の15分?をパッケージで見せてたのが受けたんだろうな
オーディションとか賞レースであれをやれるアマチュアはまずいなかった
布袋と山下久美子の結婚式
ワイドショーでもちょっとやった
音楽関係の招待客が多いですね~ってレポーターが言ってて
まだ世間的に無名だったBOOWYメンバーはフルシカトで
山下久美子の友人枠で、吉川や桑田や大沢誉志幸が紹介されてたな
クロベエ苦労人だったんだね
幸せ感じられた時間はあったんだろうか
今思うと40歳は早過ぎるなー
ちょっと遅れて80年代後半に売れたのがBOOWY
クロベエの最期にしても結局はフミヤとアブラが面倒見たんじゃなかったかな
そんな時に高杢は暴露本出して鶴久は便乗して本当に最悪だったな
TRUE LOVEにしても嵐やMISIAに提供した曲でも思ったけどフミヤの楽曲はスケールが大きい
ジャッキーチェンの映画ラッシュアワー3にも出てたな
アニメのちょっと前に当時のJACの若手俳優総出演で実写化してる
当時は真田さんと高木淳也さん(カンフーチェン)と黒崎輝さん(ジャスピオン)の3人で
アクション界のたのきんトリオ的にセット売りしてた感じ
不幸な事故はあってもチェッカーズ全盛期の85年から90年末くらいまでは幸せだったと思う
そう思いたいね
何か不満あるわけ?
>>161
素晴らしい番組だったね
こんなスレ立てられて真田広之も迷惑だろうな
ギザギザ歌ってたら黒歴史だったと思うから良かったね
高校教師がなかったら真田広之はとっくに終わってるで
あと、根本的にイケメンアクション俳優の真田がそれだけで成功したみたいに記憶を書き換えて、こんな曲唄ってたら滑稽って言われてるけど、80年代中頃以降はアクション俳優自体がもう滑稽な存在になりかけてたから
真田の後輩のアクション俳優も売り出されても尻すぼみで、真田自身もイケメンアクション俳優だけでは主演、準主演が来なくなった80年代後半以降から90年代初頭にかけて、ニューヨーク恋物語、松田聖子の恋人役、快盗ルビイ、病院へ行こう2みたいなコメディ、高校教師みたいなシリアスな恋愛ものからさえない役もこなして、90年代的以降もドラマ、映画、双方で主演格のオファー続いた訳やし
羽賀研二のよせよ並みに黒歴史かもな
聖子と布袋と真島は早生まれだから学年一個上ね
デーモン小暮は10万歳年上
太平記も入れてあげてw
当時は今よりステイタスもあった大河ドラマの主演なんだから…
沢口靖子、ゴクミ、宮沢りえと美女が勢ぞろい
陣内孝則が良い役貰ってたね
堤真一はジャパンアクションクラブ時代に真田広之の付き人やってたらしいな
芸人の街角ピンクが生誕したのはその頃
キラキラスパンコール入りのブルゾンか
それ太田裕美が完全否定していた
NHKのオーディションに受かった三人組が後にキャンディーズになっただけ
元あのねのねの鶴瓶
元RCサクセションの三浦友和
デビューの決め手はそれだろうな
音楽的にはいまいちでもエンタメ能力は高いなっていう判断
下の2行、マジかよと思ってぐぐってみたら本当だった笑
でも辞めて正解だったな。
もちろんあのねのねもRCもその後大人気になるが鶴瓶も三浦もピンでそれ以上の成功をおさめたという意味で。
友和「彼は男前ですよ!」
少女隊のメンバーを探してて
本田美奈子も候補にあったとか
さっきからなに?
言いたいことあるならハッキリと言えば?
だいたいナナ以降かな
ビートルズがパクるくらいだからな
今日の今日までヤスチンカだと思ってた
>>151
覚えてるよ当時は山下久美子のダンナ扱いだったからね
ホテイトモヤスて読むんですよて紹介されてBOOWYメンはほぼガン無視
こんなベイ・シティ・ローラーズの偽物バンド絶対に売れないぞ。
と思った自分の目は節穴だったw
自分だけじゃなかったって安心したわw
異論は認めない
SMAP(≒芸能界≒総務省)って全員在日って話よく見るけど、実際そうなんだよね。
在日の人たちって、自分たちで固まって有名になったり高給取りになったりしているから
つまり「日本人は自分たち韓国朝鮮人(同和)とは違う」と明確に認識しているし、
内心日本や日本人を敵視してるって事だよね、つまり日本人を騙して金儲けしている
<
その色が入ったメガネ、やめたらいいのにな
なんかダサい
他は大根
観たら分かる
ちっちゃな頃から優等生~♪気づいたら大人になっていた~♪
ナイフのような思考回路持ち合わせるわけもなく♪
目が悪くてサングラス必須みたいなこと言ってたような?
関ジャニの人と同じ感じなんじゃね
夏八木さんの八つ墓村最高やった
在日の伊原剛志も忘れないで
年取ると白内障とかいろいろあんのよ
キーハンター プレイガール 復活の日
藤井郁弥じゃなくて本当は旧字体の藤井郁「彌」だったのか
初主演映画からずっと主題歌歌ってる
ヒットスタジオとか音楽番組にも出てたし、作曲とかもしてた
真田広之とジャスピオンの黒崎輝とカンフー・チェンの高木淳也で
JACのアイドルユニット組んで伊賀のカバ丸の主題歌も歌ってた
一応その後にJACブラザーズってトリオが出たけど売れなかったなあ
薬師丸ひろ子と相打ちしたのは竜雷太
真田広之は武田信玄の息子武田勝頼で、ヘリによじ登って乗務員殺して
ヘリから旗の上に飛び降りたりして信玄殺した千葉ちゃんを馬上で立ち上がって切り込んで殺された
遠距離してた彼女が文化服装行っててぶっ飛んだ人たち見てたから藤井兄弟は面白がってた
(↑藤井アナのママ)
黒崎さんも高木さんも真田さんについていってれば世界的な俳優になれたかなあ
と今でも思う
凄いかっこいい名前だと子供心に思ったな、フミヤって
昔からある名前なのかな?
>>214
たんたんたぬきはリアルタイムで見てないんだが、YouTubeにある動画内でチェッカーズが何人かに分かれてダンスパーティー?でそれぞれ歌うシーンでの高杢が悔しい事にカッコいいんだよ
無能だとばかり思ってたが歌唱力はあるんだと
最近再放送しないな、ビッグウェンズデイも。昔は腐るほどやってたのに
黒崎輝は今沖縄でサーフショップのオーナーとして結構幸せそう
でも奥さんもう亡くなって子供居ないんじゃないかな
ちなみにハゲ散らかしてるぞ
高木淳也は給料で揉めてJAC所属は短かった。今じゃデブデブの反社になっちゃったしな~
俳優としては彼らは多分大成は難しかったろうなあ
ただチェッカーズの凄かったところは
解散するまでシングル10万枚割らなかったとこなのよね
同じ時代に活躍していた安全地帯はシングルはあっさり失速したから
その代わりにアルバムは売れ続けたけど
フミヤの固定ファンが多かったんだろうな
フミヤが今も活動続けられてるのはその人たちのおかげ
チェッカーズがブレイクした頃の高校野球強豪校(池田)の監督が「蔦 文也」さんだった
「郁弥」でふみやはいなかっただろうなぁ
昔は曲を作る人、それを歌う人。完全分業制だったのが全部自分たちでやるようになったのはビートルズあたりからか?(ビートルズも初期はカバー曲も多い)
まあ売れるにつれ、ミュージシャンとして出世していくにつれ曲作りやプロデュースも自分らで…というのは自然の流れなのよね。
芹澤の心が狭いだけ、そしてヒゲはフミヤ憎しでそれに便乗しただけではないかと。
レコード冬の時代とCDシングルバカ売れの時代を単純比較するなや
年末のテレビの深夜映画でよくやってたよな
ロックというよりはオールディーズバンド
ロックやってたつもりで実際はシャナナのコピーだからなw
あのカタチはお似合いだったしだから売れたんだと思う
85年から日米ともシングルが売れなくなるのは面白い
そしてどちらも90年代入ってにバカ売れしだすという
メンバーがチェック柄の服が好きだからチェッカーズって名前になったんだからな
嘘乙
50年代、60年代はCから始まるグループ(コースターズとかクレスツとか)が多かったからそこからチェックを選んだだけ
元々はスーツスタイルでチェックの衣装はデビュー後にコーディネーターが作ったもの
チェッカーズファンは7人のチェッカーズが好きなので
再結成望んでないのもそういうファンだと思うよ
それ
確執騒動とかは置いておいて
クロベエがいない時点で本当の再結成じゃないんだからやらなくていい
衣装もダンスもアダムアントまんまやん
それチェッカーズの本で読んだな
「もっと!チェッカーズ」って本だっけか
リバーシブルカバーが業界初だとかなんとかって触れ込みで
グループ名はCで始まりSで終わるって決めていたって
確かにかいていたような
チェッカーズっていう名前だからチェック柄の服を着させられたが正しいんだよな。
秋山道男と堀越絹衣あたりに
こういうニュースが出てるのか
版権管理もまだまだ生きてんだな
ドラマうちの子にかぎってを思い出す
ギャバンが始まる頃には既に結構売れてたからたぶんなかったんじゃないかな
それより前の戦隊ヒーローならJAC勢がかなり出てるし可能性はあったと思う
実際ジャッカー電撃隊にはゲスト出演してる
くだらねえwwwwww
ありがとう
少しの差で宇宙刑事になってたかもとか胸が熱い
ジャッカーに出てたとは知らなかった
子供の頃に見てたけど
むしろその年代が全盛期だとおもってたのに
カセットテープはダビングしやすかったからな
ジャッカー電撃隊が復帰作だよ。(子役だったけれど学業優先でしばらく休業していた)
キャロルとクールスも頭文字Cだからじゃないの
90年代もこの程度だぞ
運命 13.5万枚 90.3.21
夜明けのブレス 28.5万枚 90.6.21
さよならをもう一度 14.3万枚 90.11.21
Love’91 15.1万枚 91.3.21
ミセス マーメイド 21.1万枚 91.9.4
ふれてごらん 14.1万枚 91.12.4
今夜の涙は最高 13.8万枚 92.3.21
Blue Moon Stone 29.4万枚 92.5.21
Present for you 36.0万枚 92.11.20
TRUE LOVE 202.3万枚 93.11.10 ←ソロになった途端
90年代のチェッカーズのシングル売上を全部足してもTRUE LOVEに勝てない
高杢がカールばっか食ってる奴
フミヤに感謝してもいいと思うが
いくらフミヤでも何十年も他の6人を食わせていけるわけない
高杢の言うことにも一理はあったのだろうか
まあ隙あらば印税自慢してる鶴久に対して言ってる気もするが
バイオマン出た時はすでにJACの顔みたいなポジションで
であるが故に初代イエローが東映に迷惑かけたからJAC代表として出たくらいだから
80年代頭にはもう大スターだったんじゃなかったかなあ
作曲能力を売りにしてるくせにマサリナは外注っていうプライドのなさ
読みから判断するに在日コリアンじゃねーか?
中国人なら珍の字を「チン」とは読まない
月9の主題歌ですよ。あれ
これはもうジジイやんw
60越えてるんだな…
ナオユキ ※藤井尚之名義
「NATURALLY」(1987年10月21日 / 2位 ※首位は小泉今日子)
『NATURALLY』(1987年10月21日 / 1位)
フミヤ ※藤井郁弥名義
「Mother’s Touch」(1988年12月7日 / 2位 ※首位は長渕剛)
マサハル ※MASAHARU名義
「貴女次第」(1989年2月8日 / 4位 ※Top3は長渕剛、Wink、工藤静香)
モク ※MOKU名義
「酒なんかいらねえ」(1989年9月21日 / 16位)
「」はシングル、『』はアルバム
(発売日 / オリコン最高位)
JACの俳優って演技が大げさでJAC特有の個性というか臭みがあったよな
人気知名度もJACヲタ限定という感じだった
志穂美悦子は1980年代半ばにそれを何とか脱したかも知れないが
真田広之はまだまだ「JAC特有の演技が大げさなアクション俳優」だったよな
世間一般でいう「大スター」ではなかった
「日本凄い!」はやめるべきだけど「韓国凄い!」は言っていいぞ
i.imgur.com/b9tiSIY.jpg
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分かりやすいkpoopホルホル在日
あ
オフコース最大のヒット曲さよならの累計を小田のラブストーリーが初週で超えてる
時代がずれてるだけなんだよ、こういうのは
JACがイエローが飛んだお詫びとして当時既に売れっ子だった真田を「真田宏之」名義で出演させて
超激おこプンプン丸だった東映のご機嫌を取った
ギャバンは大葉氏で良かったと思うわ。やっぱ特撮顔ってあると思うし
まあ再デビュー時に宇宙からのメッセージでバリバリJAC総出演の特撮出てたけど。(あの伝説の斬られ役福本清三氏が怪人役で出ててビビった)
っていうかあの時代はまだ子役臭さが抜けてなかったのが一番だと思う笑
子役特有のわざとらしさが今見ると鼻につく
メモリーブレンドとCry for the moon
B面ならWのCherry boyとTOY BOXかな
あと誰もいないweekendもかなり好き
JACは千葉真一以下みんな演技が大げさで特有の臭みがあった
ジャッキー・チェンなんかも同じ
それが気にならないJACヲタもいたろうが世間一般の人間は受け入れ難いところもあったな
真田広之はそこから脱却するのに苦労したろう
千葉真一は良くも悪くも古き良き東映の癖が抜けない人だったから
そりゃ千葉真一に師事した人間は同じ芸風(?)になるわな笑
確かにJACオタと香港カンフー映画オタと特撮オタとアニオタは共通する特徴があるな
どうでもいいコマネタの知識をでかい声で言いまくり周囲がうんざりしてるのに気付かないとか
HelloとOn The Way!
でも改めて見るとB面も好きな曲ばっかりだ
お前が嫌いだとかもライブで盛り上がるし
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