“ロックの女王”白井貴子が語る母の介護15年の思い出と看取りの経験 #白井貴子 #ロック #介護 #母の愛 #看取り白井貴子が「痛みこらえるママを見て 何もできずに泣いた夜」と題し、母の介護15年と自宅での看取りの経験を振り返ります。感動のストーリーをお楽しみください。
7/4(火) 12:02 fumufumu news
https://news.yahoo.co.jp/articles/6ee1205e2ee540476b199e153defa48667a2bf72
白井貴子。長年にわたる介護生活について、包み隠さず語ってくれた 撮影/山田智絵
https://newsatcl-pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20230704-00024024-fumufumun-000-1-view.jpg
What’s「未来へつなぐ昭和ポップス」? 今、若い世代からも、また海外からも熱い注目を浴びている昭和ポップス。昨今では、音楽を聴く手段としてサブスクリプションサービス(以下「サブスク」)がメインで使われているが、必ずしも当時ヒットした楽曲だけが大量に再生されているわけではなく、配信を通して新たなヒットが生まれていることも少なくない。
(※中略)
今回は、1980年代に“ロックの女王”と呼ばれ活躍しつつも、’88年にロンドンに移住、帰国後は環境保全アーティストとしてさまざまな活動に取り組んできたシンガー・ソングライターの白井貴子に注目。彼女は’23年5月、自身初の著書となる『ありがとう Mama』(カラーフィールド出版刊)を発表した。本作は、母の介護を通して気づいたことを明るく前向きにつづったエッセイで、昭和ポップス世代にも大いに気づきや学びがある内容となっている。そこで、いつものようにSpotify人気曲を考察する前に、まずはこの書籍のメインテーマとなっている在宅介護や自宅での葬儀について語ってもらった。
実母の介護を約15年も続け、自宅で看取った経験を1冊の本に
「本を出そうと思ったいちばんのきっかけは、母を自宅で看取り、お葬式も家でするということが、とてもいい経験だったことです。祖父のお葬式を同じ家・同じ部屋でやっていたので、母のときもできるだろうとは思ったのですが、実際に自分が主体となってやってみると、“家でのお葬式はこんなに温かいんだ”って、改めて感動しました。それぞれのお宅の事情があるでしょうけれど、自宅療養でずっと家にいたのに、最後にそこからお葬式の会場に移されるって、ちょっとかわいそうな気がしていて。だから、自宅ですべてが完結し、棺が静かに玄関から運び出されて、霊柩車に乗せられていく……という流れがとてもシンプルで、自然に思えたんです。決して華美ではなく、家族の負担も少なかった。ご近所にもあらかじめ、家でお葬式をあげるとお伝えできたこともよかったですね」
白井は、リウマチに苦しむ母親の介護を15年ほど続けてきたそうだ。介護生活中にSNSを始めたが、その理由についても尋ねてみた。
「最初の10年間は父と私でバトンタッチしながらやっていましたが、父は典型的な昭和ひと桁生まれで、母に代わって台所まわりの仕事などはできないので、そのあたりも私が担当していました。介護の初期は食事やトイレで終日バタバタしていたものの、母が寝たきりになってしまってからは、私がすべき世話がどんどん減っていったんです。それでも、母のことをずっと近くで見ていたい、全身全霊で身体を張って闘っている母の奮闘を多くの方々に伝えたい、と思い、Facebookに介護の様子などを投稿し始めました。私のファンの方々も今後、同じような経験をされることが十分ありえますし、何かお役に立てる形で残したいと思ったんです」
そうして、いよいよ母の死が近づいたときも、SNSがとても心の支えになったと語る。
「それまでも、例えばFacebookに“母が何日も高熱を出している”と投稿していたら、同じような症状の身内を看ている方々から大量に励ましのコメントやメールをいただくなど、SNSはものすごく励みになり、迷っている私の心が晴れました」
(※以下略、全文は引用元サイトをご覧ください。)
(取材・文/人と音楽をつなげたい音楽マーケッター・臼井孝)
● 白井貴子『WE MUST CHANGE/ TAKAKO & CRAZY BOYS LIVE ’85(STAY AT HOME & WATCH THE MUSIC)』
https://www.youtube.com/watch?v=mEAqwVJ21pw
プリンセスTIFFA
NEXT GATE
Stand up Boy
ラズベリーガン
よくばりSunshine
COLOR FIELD
名前は知ってるけど売れた曲ないでしょ
作詞 渡辺美里
作曲 白井貴子
編曲 後藤次利
そら物理的に無理なら無理だよ、当たり前で話にもならんレベル
それをクリアして初めて弔問客の出入りとかは大丈夫かって話や
信じるヤツが出てくるぞw
COSMIC CHILD
せいぜい学園祭の女王の年があったくらいじゃね
ちゃんとチャートに入った曲なんてないんじゃないかな
ロックの女王がこんなど田舎の体育館でコンサートやるのかと思ったら子供向けのバレー教室だったことあった
CHANCE!とプリンセスTIFFAがぼちぼち売れてそう
それくらいだよね
プリンセスTIFAはCMソングだったっけ
まあでもあれがロックっていわれてもだよな
老人は早く死ぬべき
アメリカはコロナでうまくやったよね
無い
学園祭の女王としてレコード会社が売ろうとはしてたけど定着してない
全然ロック感がなかった
この頃ならNOKKOや山下久美子あたりがロックの女王かな
じゃあお前も
うわって思った
母を施設に預けるのも選択の内
大友康平「いつも、うちの尾崎(豊)がお世話になってます。」
泰葉「尾崎って、、、尾崎紀世彦さん?」
うちの親はさいしょは家で死にたいと言って在宅医療を選んだのに
いよいよ苦しくなってくると「病院に連れて行ってくれ、入院したい」と言い出した
でも在宅医療の主治医は紹介状書いてくれないし飛び込みで病院に行ったとしても順番待ちで最初から検査を受けて会議を通さないと入院できないという
通いの医者から処方される痛み止めと毎日一時間の通いの看護師が在宅医療です
自宅のふとんの上で死ぬのは相当苦しい
どっちもCMソングだわ
自宅でご臨終だと警察が介入するし解剖もするしね
その人はメタルの女王じゃないの?
配管工髭兄弟「あ?!💢」
かかりつけのお医者さんに死亡宣告して貰えば大丈夫
救急車呼んで来院時心肺停止だと警察案件で連れていかれる
「麻里ちゃんはヘビーメタル」
当時のキャッチコピー
w
スズキ・カーナのCM曲。
闘病もな
なんならCMまで来るし
白井貴子
寺田恵子
濱田マリ
よくスタジオ内に楽譜とか置いたままで帰ってたらしい。
曲名欄に書いてある「蟻の戸渡り」の意味がわからず
「ねぇ、「蟻の戸渡り」ってなーに?」と連呼していたが
当時、中1の自分は25歳の女性が知らない言葉も知っていた。
オールナイトニッポンの1部が桑田で2部が白井貴子だった時期があった
この曲の前か後が爆風スランプの「噂になりたい」だった。
リウマチなんか
薬で抑えて
普通の生活ができるのに?
「今日という日は今日しかないのさ」じゃなかった?
検索されるとわかりますよ。
>>60
佐藤竹善の話だと、当時はレコード会社の親会社に家電メーカーが多くて
レコード会社間で協力できる雰囲気ではなかったみたいですね。
でも、確かにロック寄りな南こうせつはダサかった。
その為に訪問診療してもらうんだよ。訪問看護や訪問介護とは別ね。
うちの近所ではおばさん一人で暮らしてて突然亡くなってたので警察呼んで遺体見聞やら
なんやらで警察署へ持って行かれて引き取りするまでに8万円ぐらいかかったって。
うちは訪問診療と訪問看護いれて自宅介護して最後俺が看取ったけどトータルで5万円ぐら
いかかっただけ。末期ガンなどで自宅で介護するなら訪問診療は頼んどいた方がいい。
自分も子供に介護してもらいたい?
最後w
っていうほどでもない気がする
ルイードの女王って、久美子と貴子どっちだっけ。
ルイードは白井貴子
ハッキリ言って自慢だけどルイード貴子二度行った。
ギターが山本恭司の?
俺はルイードで二回、下北(ホンダ?)で一回だけど
山本恭司は来てなかった。
ロックの女王ならばどこかのバンドで活動してたんか
>>1 には書いてないけれど
毎月40万くらいかかるが家で見れないから仕方ない
仕事辞めて2人の世話だけして生きて行くのは無理
特養は安いから人気だけど250人の順番待ち
何歳まで生きるか自分が先に死にそうだ
寺田恵子 浜田麻里
オバ専なのに苗字が若井望
軽々しく言うな。個人差というもを考慮できない間抜けさが救い難い。
育ちいいし大学でも音楽学んでたしやるとしたら普通のポピュラーソング
時代ですな
久美子さんはロックの女王かどうかは分からんけど、明るくて明け透けな女子がロックナンバーをキュートに歌う先駆けとしてその後の影響力が大きい
ノッコさんのせいだけではないけど、レベッカはロックギタリストを追い出してマドンナコピバンの方へ行ってロックから離脱、ノッコさんは諸々存在感がダサい
まさかのモダチョキ
>>5
LIVEだとFoolish Warも良かった
白井貴子のオールナイトニッポンに、デビュー前の渡辺美里のコーナーがあったんだけどな。
まだ高校生だから深夜は無理なんで学校帰りに制服のままで収録に来てた。
デビュー後はオールナイトニッポンでなくTBS系のスーパーギャングを担当してたが。
確かに「今夜は今夜しかないのさ」って書いてあった
俺は桑田佳祐のオールナイトを毎週聞いてて、流れで(というか桑田が誉めてたから)数回白井貴子の方も聞いてみただけだけど、その時は確かに「今日という日は」って言ってたんだよな
スタンダードな方ではなかったんだな
その後の相川七瀬に繋がる系譜
この人の一曲といえばやっぱチャンスになるんかね
当時はよくオンエアされててヒットしてる印象の曲が
売上枚数みたらそれほどでもないってことがよくあった
RCとか佐野元春とかも枚数とかは大して行ってないんじゃないかね
というかどこがロックなの?
この人の曲
チャンスしかしらん
二人のSummer Time
チェックしてしまった!!
昔好きだった時期があるわ
何かの拍子にバズらないかな
美里も小林幸子さんにそっくりだね
白井さん
臼井さん
楽器隊、特にギタリストが重要
元は白井貴子のバックコーラスしてたね
二人のSummer Timeは俺も聴きたくなる
1 件のコメント