1988年、10月に開局したばかりの東京のFMラジオ局、J-WAVEが「J-POP」の発祥となった。J-WAVEは「多文化的」「スタイリッシュ」な街・六本木に存在しており、当初は邦楽を全く放送していなかった[4]。しかし1988年の年の暮れ[5]、同社常務・斎藤日出夫(2012年より社長)がレコード会社の邦楽担当者らと共に、J-WAVEで邦楽を流そうという企画が発足する。レコード会社側も「洋楽しか流さないJ-WAVEが流した邦楽には希少性があり、それを集めたコンピレーション・アルバムを出す」などと言った目論見もあったという[6]。
この際に「日本のポップス」をどう呼称するのかが検討され(斎藤日出夫によれば、いつまでも和製○○などと言っていてはいつまでもオリジナルを越えられないという点があった[7])、ジャパニーズ・ポップス、ジャパン・ポップス、シティ・ポップス、タウン・ポップスなどが検討されたが、「ジャパニーズ・ポップスにせよ、ジャパン・ポップスにせよ、頭文字はJとなり、そしてここは、J-WAVEだ」という意見が出され、Jの文字を用いることとされた。ジャーナリストの烏賀陽弘道によれば、当時1985年に日本専売公社が民営化され日本たばこ産業=JTになった時代であり、1986年に浜田省吾がアルバム『J.BOY』を発表、1987年に日本国有鉄道が分割民営化されJRに、日本を表す「J」という文字が定着してきた時期であったことも一因とされるのではないかとしている[8]。これが「J-POP」という語の誕生の瞬間であり、この時点ではあくまでJ-WAVE内部のみでの呼称であった[9]。関係者の証言により異なるが、1988年末か1989年初頭頃のことである