”男闘呼組”特集 – 熱き魂の舞台
紅白出場おめでとう・・・まだまだ観たいし今後も期待してる!!!!
目次
- イントロダクション
- メンバー
- デビューから活動休止まで
- 男闘呼組について知っておきたいこと
- 関連記事
イントロダクション
ジャニーズ事務所から生まれ、熱いパフォーマンスでファンを魅了する男闘呼組。彼らの魅力に迫ります。 🔥 #男闘呼組 #ジャニーズ
男闘呼組は、その独自のエネルギッシュなスタイルと魅力的なパフォーマンスで、日本のエンターテインメントシーンに革命をもたらしています。ジャニーズ事務所から生まれ、デビュー以来、彼らは数々のヒット曲や興奮を呼ぶステージで、国内外のファンを虜にしています。メンバーそれぞれが個性的で、グループ全体の力強い結束力が、彼らの成功の一因と言えるでしょう。
男闘呼組の音楽は、キャッチーで力強いメロディと共に、時折切なさや繊細さも感じさせます。その幅広い音楽性は、様々な年齢層や音楽好みのファンに支持され、コンサートでは熱狂的な雰囲気が広がります。彼らのステージでは、ダンスのパフォーマンスだけでなく、歌唱力やライブパフォーマンスの素晴らしさが存分に発揮され、観客はその魅力に引き込まれることでしょう。
また、男闘呼組のメンバーたちは単なるアーティストだけでなく、個々のバラエティ番組やドラマへの出演など、多岐にわたる活動でファンとの交流を深めています。その親しみやすい一面も、彼らを特別な存在としてファンにとって愛されている理由の一つです。
男闘呼組は、これまでの成功にとどまらず、これからもその魅力で多くの人々を魅了し続けることでしょう。ジャニーズ事務所の誇りとなり、彼らの活動から目が離せないことは間違いありません。彼らの未来に期待し、その熱いパフォーマンスがますます多くの人々に届くことを願ってやみません。 🔥 #男闘呼組 #ジャニーズ #エンターテインメント
紅白にも出場!!!!!!!
メンバー
デビューから活動休止まで
男闘呼組が再び蘇る! 往年のファンにとっては嬉しいニュースである。2022年7月16日、29年ぶりに活動を再開することが公式HP内でサプライズ発表された。再結成のきっかけは、2019年5月にファンの熱い要望により池袋HUMAXシネマズで開催された「ロックよ、静かに流れよ」の公開30周年記念上映会に岡本健一が参加し、当時消息不明とされていた成田昭次のコメントを発表したことである。その際の反響の大きさを岡本は成田に伝え、男闘呼組の復活について成田に問いかけた。当時芸能界を引退していた成田は「それは難しいかな」と返答した。その後、ジャニー喜多川のお別れ会(2019年9月4日)に成田が出席し、岡本と久しぶりの再会を果たした。
ジャニーのお別れ会に男闘呼組の一部メンバーがそろい、岡本を通じて「またやったらいいのに」とジャニーが生前語っていたことを知ったという。その後、一回集まって音を出してみようということになり、2020年の夏に名古屋のスタジオに集合した。それぞれ所属事務所が異なっており、各個人の活動との兼ね合いや、権利の問題などがあり、再結成を実現させるには話し合いや調整が必要であった。プロデューサーの手腕で一つ一つ乗り越えていったことで、少しずつ再結成が現実味を帯びていき、最終的に再結成が実現した。
男闘呼組は1988年に「DAYBREAK」(オリコン最高チャート1位)でレコードデビューし、続いて「秋」「TIME ZONE」などの楽曲がヒットした。1991年発表のシングル「ANGEL」からは自作曲が中心となり、1988年に第30回日本レコード大賞最優秀新人賞を受賞。1988年及び1989年にはNHK紅白歌合戦に出場し、1989年には東京ドームでコンサートを行った。
しかし、1993年6月30日付けで、高橋がジャニーズ事務所から解雇されたことに伴い、突如グループが活動休止(実質的な解散)となった。同日は渋谷PARCO劇場で4人一緒に出演していた舞台「スラブ・ボーイズ」の千秋楽であり、男闘呼組で出演したNHK-BS特番「トップアイドル・オンステージ」(5月9日NHKホールにて収録)の放映日でもあった。
高橋は後日、「様々な理由が重なっているんだけど、要するに僕らは若かったんだと思う。あの地点で行き止まりだった。僕がジャニーズ事務所を離れることになったけど、そこへいくまでも、僕ら1人1人がそろそろ独り立ちする時だと考えていたと思う。あの時点で、具体的にこれが問題でした、というわけではない。でも、結果的に男闘呼組が活動休止になったことで、それぞれが自分の道を歩み出し、その時間は人間としても、アーティストとしても必要だった。」と語っている。
活動休止期間中、高橋の退所後、成田と前田が退所し、岡本のみがジャニーズ事務所に所属していた。その後は各々の仕事もあり、それぞれ集まろうという発想が無かったが、2019年にジャニー喜多川が亡くなる少し前より4人でやり取りする様になった。その後、当時芸能活動を離れていた成田に会いたくて3人のメンバーが会いに行った。活動休止後2020年に初めて4人揃って名古屋で会い、スタジオで6時間程セッションを行った。4人のメンバーがそろって音を出し、一つにまとまった時は、高橋は「不思議な感じなのと、一気に時を飛び越えて昔に戻った。もちろん当時と同じものでは無いが、当時と変わらないものがあった」と感じた。6時間のセッションでは、メンバーひとりひとりが1曲ずつ選んだ。高橋はその時「ロックよ、静かに流れよ」を選んだそうである。
2022年7月16日にTBS系音楽特番「音楽の日2022」に出演されることが発表され29年ぶりに復活を果たす。今回の再結成は2023年に結成35周年を迎えるにあたっての期間限定の再結成であり、2023年8月以降のことは決まっていない。11月15日には第64回日本レコード大賞で特別賞を受賞し、12月30日の受賞記念音楽会でパフォーマンスを披露した。
2023年4月28日から全国ツアー「THE LAST LIVE」を21都市で開催予定。30年前に急遽活動を休止したため、当時ライブを予定していた開催地を中心に展開する。8月16日・17日、24日・25日に解散公演「LAST FOREVER」を日本武道館にて行い、合計52公演を終えて解散する。
男闘呼組は往年のファンだけでなく、若い世代からも支持されているバンドである。彼らが再びステージ上で音楽を奏でる姿を見ることができることは喜ばしいことであり、期待感も高まっている。今後も彼らから目が離せない。
男闘呼組は、1985年にジャニーズ事務所からデビューした日本のロックバンドである。メンバーは高橋和也、岡本健一、前田耕陽、成田昭次の4人で構成されている。彼らは、ジャニーズ事務所のアイドルグループとしては異色の存在であり、音楽的な志向が強く、メンバー自身が作詞作曲を手掛けることもあった。今回は、そんな男闘呼組について知っておきたいことをまとめてみた。
グループ名の由来
男闘呼組のグループ名の由来は、中村繁之とされている。中村がジャニー喜多川のお別れ会に参加した際、ジャニーより「今度、楽器を弾いたちょっと男っぽいグループを作りたい。」ことを告げられ、中村より『男組』という漫画のタイトルより「男組なんていいじゃないの?」といい、決まったようである。尚、グループの漢字はジャニーが考えたとされる。
デビュー前の苦労
男闘呼組がデビューする前は、メンバー全員がダンスを苦手としていたため、ダンスレッスンをさぼる口実として音楽スタジオを借り、本格的に練習を始めた。その結果、デビューにつながったと言われている。また、デビュー前より音楽的志向が強く、後にコンサートにて「ペンライトは使うな」と呼びかけるようになった。
アーティスト色が強まる
男闘呼組は当初からアイドルバンドとして認知されていたが、4枚目のアルバム発表時からメンバー自身が作詞作曲を手掛けることが増え、アーティスト色が強まったことから、アイドルバンドとの呼び声も消えていった。
海外での活動
ビデオ撮影やレコーディング等のために度々グループで海外を訪問している。デビュー前の1987年に発売されたビデオ「Made in U.S.A.」はアメリカのニューヨークやロス等を舞台にロケが行われた。1988年発売のビデオ「Xing Point」はトルコで撮影され、1990年発売のアルバム「参」のレコーディングは1990年1月下旬から2月初旬にかけてロンドンで行われた。
SMAPとの関係
TOKIOの城島茂がデビュー時の男闘呼組とドラマ出演など頻繁に行動を共にしていた。また、光GENJIの諸星和己は、1986年1月に男闘呼組の冠番組『アイドル花組おとこ組』の出演者オーディションを受ける形でジャニーズ事務所に入所した。従来、ジャニーズ事務所の合宿所には厳しい上下関係が存在していたが、男闘呼組は後輩である後のSMAPのメンバーらに対して上下関係を強いることをせず、優しい先輩として慕われていた。
メンバーそれぞれのサウンドルーツ
1991年に出演したテレビ番組「ナリキーばんど講座」(TBS)にて、各自のサウンドルーツとして以下を挙げている。
・成田昭次:子門真人、ベンチャーズ、クールス、ストレイ・キャッツ、マイケル・シェンカー・グループ、UFO、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、ロバート・クレイ、マーク・ノップラー
・高橋和也:渡辺真知子、世良公則&ツイスト、キャロル、アナーキー、ザ・スターリン、セックス・ピストルズ、ローリング・ストーンズ、ジョン・レノン、ピンク・フロイド、ハンク・ウィリアムス Jr.、リンダ・ロンシュタット、リッキー・リー・ジョーンズ
・岡本健一:エルヴィス・プレスリー、オスカー・ピーターソン、デュラン・デュラン、ピンク・フロイド、ラブ・アンド・ロケッツ、グレイトフル・デッド、チェット・ベイカー、トム・ウェイツ
・前田耕陽:オフコース、浜田省吾、デュラン・デュラン、ヴァン・ヘイレン、ジャーニー、ジョー・コッカー、ジェフ・レビン、リチャード・マークス
解散騒動
1993年9月17日、日刊スポーツが解散をスクープした際には、社に「読者広報室」がなかったため、編集部門にファンからの問合せ電話が殺到。業務に支障をきたす事態になったため、記事を書いた記者の笹森文彦は対応専従をデスクに厳命された。
メンバーそれぞれの逸話
男闘呼組のメンバーそれぞれには興味深い逸話がある。
・前田耕陽:リーダーであり、「リーダーのような大変なことは誰もやりたくなかった。誰よりも早く起き、きちんと朝食をとる耕陽がいいんじゃないかと思った」と高橋和也が語っている。
・成田昭次:2009年9月27日に大麻取締法違反で逮捕されたことがある。
・高橋和也:木村拓哉も男闘呼組のメンバーに「果てしなく一緒に遊んでもらった」と語っており、「岡本健一を尊敬する先輩」と公言している。
・岡本健一:トレードマークだったロングヘア―やピアスも岡本健一のファッションに影響を受けたものである。
最近の活動
男闘呼組は現在音楽活動をしておらず解散状態であるが、2020年4月から前田耕陽が自身のYouTubeチャンネル「Team54.ch」にてラジオ「Team54 Radio」を開始し、男闘呼組のセルフカバーを発表している。また2020年11月3日には成田昭次が音楽活動を再開したことが報じられた。
まとめ
男闘呼組はジャニーズ事務所からデビューした異色のロックバンドであり、彼ら独自の音楽的志向や作詞作曲活動が評価されてきた。また彼らは後輩に対して上下関係を強要することなく優しい先輩として慕われており、SMAPやTOKIOなど後続グループにも影響を与えてきた。今後も彼ら独自の音楽性や逸話が語り継がれていくことだろう。